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「ニュースで見たんだけどさ、ネアンデルタール人って、ホモ・サピエンスと交配してた可能性があるらしい」
眼鏡の奥の一重の目を大きく見開きながら、駿が言った。
民喜はコーラを一口飲んで、
「ネアンデルタール人って、どんなだっけ?」
と尋ねた。
「俺らの先祖だっぺ」
将人がポテトチップスをせわしなくつまみながら言った。日焼けした将人の顔は薄暗闇の中でますます色濃く見える。
「俺らの先祖じゃねえ。別の人類だ」
駿は訂正して、
「原人という共通の祖先から枝分かれして、それぞれホモ・サピエンスとネアンデルタール人になったのさ」
焚火缶の明かりが、ほっそりとした駿の顔に穏やかな陰影を作りだしている。
その夜、民喜はいつものように駿と将人と三人でロウソク岩の見える海岸に来ていた。
「ロウソク岩」とはその名が示す通り、ロウソクのような形をした石塔のことである。波に浸食された岬の一部が残って棒状になったもので、町民からはこの辺り一帯の浜のシンボルとして親しまれている。巨人が鑿(のみ)を打ちつけて荒々しく四角形に削り取ったようなその石塔は確かにロウソクのようでもあり、または角ばったろう石のようでもあった。岩の頂上には松の木が生えており、少し間の抜けたようなその先端部が岩に親しみやすさを加えていた。
このロウソク岩のある海岸を民喜たちは特に気に入っていた。「いつもの場所」と言うと、それは三人にとってこの浜のことを意味した。
佐久間駿と星将人とは幼稚園からずっと一緒の幼馴染だ。高校生になってからクラスは別になったが、夜になるとこうして集まり、スナック菓子を食べながら延々と話をしている。
駿は高校入学後、民喜と同じ美術部に入ったが、数か月で来なくなってしまった。本人曰く、めちゃくちゃ面白いゲームが発売されたのでもはや部活をしている暇はない、とのことだった。
駿はかなりのゲームマニアだが、同時に読書家でもある。会う度に、大抵新しい本の話をしている。そんなにたくさんの本をいつ読んでいるのかと尋ねると、「夜寝る前」、そして「授業中」と答えた。つまらない授業の時は教科書で隠しながら読書をしているらしい。
駿は落ちていた枝を拾って、砂浜に簡単な図を描いてみせた。
「初めに原人がいて、で、こうして枝分かれして、それぞれが進化して、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人になった。いわば、いとこのような関係だな。ネアンデルタール人はその後いなくなっちゃったけど、ホモ・サピエンスだけは生き残って、で、いまの俺らにまで至ってる。これ、前にも説明したぜ」
「そうだっけ。忘れた」
将人は言った。
「で、何の話だっけ?」
と民喜。ちなみに、将人も民喜も普段まったく読書はしない。
駿は分厚いレンズの眼鏡を人差し指でずり上げ、
「んだから、ニュースで見たんだけどさ、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが、交配してた可能性があるらしい」
「交配って、セックス?」
将人が素早く尋ねる。
「んだ」
駿が答えると、将人は
「おー」
と言って嬉しそうな表情を浮かべた。将人のどんぐり眼ががぜん輝き始める。
将人は中学の時と同様、陸上部に入っている。専門種目は400メートル。聞けば、400メートルは短距離の中で一番苦しい種目であるとのことだった。なぜそんな辛い種目をわざわざ選ぶのか、民喜と駿には理解できない。まあ、本人が好きで走っているのだから、いいのかもしれない。
将人は中学の頃から身長は高い方だったが、この1年でさらにグンと背が伸びた。筋肉もついてきて、全体的に一回りほど大きくなったような気がする。小柄な駿と並ぶとその身長差は10センチ以上もある。
「っつうことは……。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは一緒に暮らしてたってこと?」
民喜は駿に尋ねた。
「詳しいことは分がんねえけど、お互い近くに住んでて、で、何らかの交流はあった可能性がある」
「っつうことは……」
民喜は頭を働かせて、
「俺らの遺伝子の中にネアンデルタール人の遺伝子が含まれてる可能性があるってこと?」
「んだんだ」
駿が頷く。焚火缶の中で燃える枝がパチッと弾ける音を立てた。
「でも、そのように共存してた時期があったけど、いつしかネアンデルタール人は滅んで、俺らホモ・サピエンスだけ生き残ったんだろ。なしてそういうことになったんだ?」
民喜はさらに尋ねてみた。
「それもはっきりしたこと分がんねえけど、もしかしたら、俺らホモ・サピエンスがネアンデルタール人を滅ぼしてしまったのかもしれん。そういう説もあるらしい」
駿はそう答えて、ペットボトルのコーラを一気に飲み干した。
「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスって、仲良かったの、悪かったの、どっちだ?」
将人が尋ねると、
「よく分がんね」
駿は頭を振った。
「よく分がんねえことだらけだな」
そう言って将人は新しいポテトチップスの袋を開けた。焚火缶の中で燃える枝がまた勢いよく音を立てた。ポテトチップスをほおばる駿と将人を見つめながら、民喜はネアンデルタール人という存在について関心を抱き始めていた。
家に戻ってから、民喜はパソコンを開いてネアンデルタール人についてネットで検索をしてみた。画像検索してみると、思いの外たくさんの画像が出てきた。
その中に、ネアンデルタール人の復元模型の写真があった。
写真のネアンデルタール人の男性は金色の髭を生やし、澄んだ青い瞳、薄い肌の色をしていた。ある記事によると、ネアンデルタール人は長期間寒冷地に住んでいたので肌の色が薄かった可能性があるとのことだった。
男性の眼窩の上はアーチ状に隆起し、見るからに頑丈そうな体つきである。肩と腰には薄茶色の毛皮を羽織っている。そのようなネアンデルタール人固有の特徴はあるとしても、いま生きている自分たちとさほど相違はない外見だった。
民喜は意外に思った。ネアンデルタール人について、頭の中では毛むくじゃらでゴリラに近いような外見を勝手に想像していたのだが……。その復元模型はイメージとはまるで異なっていた。
ネアンデルタール人の女性の復元模型の画像も見てみる。眼窩の上が隆起しているという特徴はあるけれど、現代人の女性とさほど外見は変わらない。この女性が現代の服を着て街を歩いたとしたら、誰もネアンデルタール人だと気が付かないかもしれない。
画像の一覧の中には、ネアンデルタール人の少女の復元模型もあった。6歳くらいだろうか、女の子も金色の髪、青い瞳をしていた。やはりその外見は自分たち現代人とほぼ相違はない。
復元された女の子は少し微笑んでいるような表情を浮かべていた。彼らの姿を見ていると、民喜は不思議と安心するような気持になった。
*参照:スヴァンテ・ペーボ『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(野中香方子訳、文芸春秋、2015年)