5、

 夕方、駿と将人が病室にやってきた。

「民喜、俺ら、そろそろ帰るわ」

 母は椅子から立ち上がり、

「将人ちゃん、駿ちゃん、この度は本当にありがとう」

と頭を下げた。

「これ、ささやかだけど、おみやげ。良かったら持ってって」

 お菓子の入った小包を二人に差し出した。

「すみません、ありがとうございます」

駿と将人は礼を言って小包を受け取った。

二人を病院の出入り口まで見送りに行くことにする。日曜の夕方だからか、ロビーには人はほとんど歩いていない。

二人に伝えなければならないことがある気がして、

「あっ、ちょっと、いい?」

「おう」

 将人と駿は足を止め、民喜の顔を見て頷いた。

誰も座っていないロビーの椅子に三人で腰掛ける。そうだ、今朝のことを二人に伝えなければならないのだ、と思う。

「えーと、あのさ……実は今朝、不思議な体験をしたんだ。特にどうってことねえって言えば、どうってことねえんだけど。俺にとっては、特別な体験になった」

「今朝?」

「んだ」

民喜は頷いて、

「目が覚める直前、ネアンデルタール人が夢の中に出てきた。見てもらったあの絵とまったく同じ姿で」

「ネアンデルタール人?」

駿が興味深げな表情で反応した。

「したっけ、全身が光で包まれたような感覚になって……。目が覚めたら、真っ赤なリンゴが目に飛び込んできた」

「リンゴ?」

「そういえば、棚の上に置いてあったな」

将人が呟く。

「でも、不思議なんだ。リンゴだけど、リンゴじゃねえんだ。っていうか、まるで初めてリンゴを見たみたいに。すっごく新鮮で、キラキラ輝いて見えた」

 話しながら、今朝の感動が心によみがえってくる。

「それはリンゴだけじゃなくて、他のものもそうなんだ。窓から見えるもの、部屋の中のもの。一つひとつの存在がキラキラと輝いて、すっごくきれいに見えたんだ」

 二人は真剣な表情で耳を傾けてくれていた。

「何ていうかな、世界がすっごく明るくなって、時間の流れが変わったようになった。いまこの瞬間が満ちてる感覚っていうかな……」

 明日香の言葉が心に浮かんでくる。明日香さんもこれとまったく同じ経験をしていたのだ。

「ふーん……。一種の神秘体験のようなものかな」

 将人が呟いた。

「けど、分かる気がする」

 手の平に明日香の手の暖かさがよみがえってくる。さっき確かに、目の前に明日香さんがいた。喜びも悲しみも含んだ、明日香さんそのものとして。明日香さんがそのものとして存在していることの、その輝き、そのいとおしさ……。

(そうか!)

  次の瞬間、頭の中で様々なことが芋づる式につながった気がした。民喜はハッとして、思わず勢いよく立ち上がった。

「将人! 駿! 分かったよ、ネアンデルタール人には世界がどのように見えてたのか!」

 向こうの方を歩いている看護師がチラっと民喜たちの方を見た。二人は民喜に釣られるようにして一緒に立ち上がった。

「ネアンデルタール人には、存在が存在そのものとして見えてたんだ!」

 民喜は両手を振って、

「いまこの瞬間の……。リンゴはリンゴそのものとして。鳥は鳥そのものとして。そして、俺らは、俺らそのものとして……」

 駿と将人はキョトンとした表情で民喜の顔を見つめていた。

 

 

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作者:鈴木太緒(すずき・たお)

   岩手県花巻市在住。猫3匹と同居。

お問い合わせ:neanderthal.no.asa@gmail.com