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薄暗い店内のところどころを裸電球の暖かみのある明かりが照らし出している。

いま店内にいる客は40代前半くらいの男性一人と、若い男女のペアだけ。日曜日の午前中であるからか、いつもよりも人が少ない。

すぐそばのカウンターでグレーのエプロンをつけた女性がコーヒーを淹れている。歳は20代後半くらいだろうか、ショートヘアのどこかミステリアスな雰囲気の女性で、この店に来るとよく見かける人だ。湯気と共に沸き立つコーヒーの香りは、民喜の内に何だかホッとするような、懐かしいような感覚を喚起した。少し離れたスピーカーから、ジャズピアノの控えめな音色が聴こえてくる。

民喜は吉祥寺の駅前商店街の中にあるこの独特な雰囲気の喫茶店が好きで、時折立ち寄っていた。店の入り口は携帯ショップと隣り合わせになっており、早足で歩いていたら見過ごしてしまいそうだ。

地下へ続く急こう配の階段を下りていくと、賑やかな商店街とはまったく別の空間が目の前に広がる。アーチ型の天井とゴツゴツとした壁。まるで地下洞穴のような不思議な空間。初めてこの店を訪れたとき、自分が大昔の人類に戻ったかのような感覚になったのを覚えている。

生活のリズムを何とか立て直したいと思い、昨晩は民喜は日付が変わる前に就寝した。眠ることができるか不安だったが、意外とすぐに眠りにつくことができた。心身共に、疲れが溜まっていたのかもしれない。目が覚めて、混沌としていた頭の中が少し整理されたような、すっきりとした感覚が民喜を捉えていた。小鳥のさえずりが聞こえる中、今日なら原民喜の本を読むことができるかもしれない、と思った。

「お待たせしました、ブレンドのストロングです」

ショートヘアの女性がコーヒーを運んできた。

「どうも」

目を伏せて頭を下げる。

カップを手に取り、鼻を近づけて香りを確認した後、ミルクも何も入れないで口に含む。やっぱりお店で飲むコーヒーはおいしい。ストロングなので味が濃厚だ。

 アーチ型の天井を見上げながら、民喜は実家のすぐ裏手の雑木林にあるケヤキの樹のことを思い起こした。

あの樹の根元の洞の中にもぐるのが好きだった幼い頃の自分。薄暗い洞の中でボーっとしていると、不思議と安心した気持ちになったものだった。この洞窟のような喫茶店が好きなのはその頃の記憶が関係しているのかもしれない、と思う。

 だけれども――いまやあの樹の洞は放射能に汚染され、ホットスポットになってしまっているのだ。

民喜の心にチクリと痛みが走った。 

コーヒーを一口すすり、民喜はカバンから原民喜の『夏の花・心願の国』を取り出した。

本が届いてからこの10日間ほど、民喜はなかなか本を手に取ることができないでいた。この本を読み進めるには、相当のエネルギーが必要だと直感していたから……。読むことを重荷に感じると同時に、それが何か自分の責務のようにも感じていた。

唯一すでに読んでいたのは、最後に収録されている短編の『心願の国』。数日前、駿と放射能問題について電話をした後、ふと本を手に取って読んでみたのだ。10頁ちょっとのごく短いもので、すぐに読み終えることができた。

文庫本のそでに掲載されているプロフィールによると、『心願の国』は原民喜の最後の作品であるらしい。確かに、亡くなる直前の彼の心境がそのままに書き留められているような内容だった。小説というより、散文詩に近い印象。締めくくりには親しい友人への遺書と、U……という人物に捧げた悲歌が添えられていた。

読んでいて、一つひとつの文章が、スーッと心に染み入って来た。これほど自分にしっくりとくる文体に出会ったのは初めてのことだった。舞台が吉祥寺近辺であることにも親しみを覚えた。原民喜という人は、何か自分と近しい感受性をもっている人であるのかもしれない。

特に心に残っている一文がある。

 

《……だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによっても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みていたような気がする》

 

 原民喜が眠れない寝床の中で、地球の内側の核心部を想像しながら記した文章であるとのことだった。初めて読んだ言葉であるはずなのに、書かれていることを自分も知っているように感じた。ここに書かれていることは自分自身、長い間、ずっと願い続けて来たことであるような気がした。

 

 

 

 

*引用:『夏の花・心願の国』(新潮文庫、1973年、281頁)

 

 

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作者:鈴木太緒(すずき・たお)

   岩手県花巻市在住。猫3匹と同居。

お問い合わせ:neanderthal.no.asa@gmail.com