201510月 東京

 

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手に握りしめたスマホを何度も見返す。約束の時間まではまだ15分ほどあった。

吉祥寺駅北口は日曜日の午後ということもあって、たくさんの人で賑わっている。尿意を感じた民喜は駅の構内の最寄りのトイレへと向かった。

小便器の前に立ち、用を足そうとする。が、ほとんど出なかった。30分ほど前に一度行っているのでそれはそうだろう、と思う。ズボンのチャックを絞め、鏡の前に立って髪型を整える。

待ち合わせ場所に早足で戻る。バスロータリーの上には雲一つない青空が広がっている。まだ明日香さんは来ていないようだ。

10月になったというのにまるで初夏のような陽気だ。天気予報によると今日は最高気温が27度になるとのことだった。

 

「ごめんなさい、待ってた?」

約束の14時ちょうどに彼女はやってきた。走って来たからか、頬がほんのりと赤く染まっている。

民喜は笑顔を作り、

「いや、大丈夫だよ。僕もさっき来たとこ」

「そっか、よかった。この度は誘ってくれてありがとう」

明日香は目を伏せ、恥ずかしそうに微笑んだ。

「いや、こちらこそ」

そう言って民喜は軽く咳払いをした。明日香は群青色の長袖のワンピースを着ていた。彼女のワンピースの青を見た瞬間、民喜はハッとした。

二人で並んで商店街へと続く横断歩道を渡る。目的の映画館は駅前の商店街を突っ切って、左に曲がってすぐのところにある。ここから歩いて5分ほどだろうか。民喜自身はまだ実際にはその映画館には行ったことはなかった。

「明日香さん、忙しくなかった?」

 左隣を歩く明日香に話しかける。

「ううん、大丈夫だよ、ありがとう」

明日香は微笑みながら言った。商店街を吹き抜ける風が彼女の長い髪を揺らしている。

大学以外の場所で彼女と二人で会うのはこれが初めてのことだった。そして民喜にとってこれが、人生で初めてのデートでもあった。

 会話はそこで途絶えてしまい、賑やかな商店街の通りをしばらく無言で歩き続ける。頭を働かせて何かを言おうとするが、気の利いた言葉がまったく浮かんでこない。

明日香とこうして二人で吉祥寺の商店街を歩いているというのが、不思議だった。まだ実感が湧いてこず、何か夢の中にいるようなフワフワとした感覚が自分を捉えている。

不思議な感覚の中で、民喜はふと故郷の海を思い起こしていた。……

 

「おう、民喜」

 発信音が二度鳴った後、すぐに将人は電話に出た。

「元気?」

「ああ。元気だ。どうした?」

「いや。別に、そんな大したことじゃねえけど。ちょっと将人に話したいことがあって」

 将人の声の背後からテレビの賑やかな音声と笑い声が聞こえてくる。

「そうか」

「今日も仕事だった?」

「ああ、もちろん。民喜ももう大学始まってんだろ?」

「うん」

8月はサンキュー、楽しかったな。また飲もうぜ」

「うん。ぜひ! で、その、早速だけども……。8月に会った時、気になる人がいるって言ったの、覚えてる?」

 早速話を切り出してみる。

「えーと……そういえば言ってたな」

「実は、その人と一度ゆっくり話してみたいと思ってるんだ」

 喉元に緊張が走り、民喜は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

「おー、デートか。いいな!」

将人は嬉しそうな声で言った。将人が二重のどんぐりのような目を輝かしている様子が浮かぶ。

「で、どうしたらいいべ」

「は? 何が」

「ゆっくり話してみたいんだけども」

「デートに誘えばいいべ」

「いや、それが簡単にできるんだったら、将人に相談はしねえ」

「へ……? 民喜は時々、不思議なこと言うな」

 将人はキョトンとした声を出し、

「えーと……彼女、確か民喜と同じサークルだったよな?」

 と聞いてきた。

「んだ、同じサークル」

「その人は民喜のこと、どう思ってんだ?」

「えっ、俺のことか?」

 民喜はしばらくジッと考え込んで、

「うーん。分がんね」

 と答えた。そう答えつつも、彼女が好意を持ってくれているのではないかと強く期待している自分がいた。

「そうか。まだ未確認か。ま、あんまり難しいこと考えず、とりあえず誘ってみたらいいべ。俺ならドライブに誘うけどな。民喜は車持ってねえからな。映画にでも誘ってみたらいいんじゃねえか。そんで、その後どっかの店行って、ゆっくり話したらいいべ。で、そのまま勢いで告っちまえ」

「いや、告るのはまだ無理だ」

「民喜はホント、奥手だな」

 将人はクスクスと笑った。民喜は宙を見上げて、

「映画かあ。でも、いきなり映画に誘って、びっくりされねえかなあ。同じサークルの友達なのに、急に誘って。俺が気があることバレちまわねえかなあ?」

「気があるからデートに誘うんだろ?」

「まあ、そうだけども」

「いいじゃねえか、気があるアピールしといた方が」

「うーん……。あ、あと秋の定期演奏会が近いんだ。そんな状況で休日に映画に誘うのは迷惑じゃねえかな?」

「いいじゃねえか、気分転換に、っつうことで誘えば」

「うーん、そうか」

 民喜は懸命に頭を働かせつつ、

「誘い方は、直接会って誘うのがいい? それとも電話がいい? それともラインの方がいい?」

「どっちでも……まあ、ラインでいいんじゃねえか」

 将人はわざとらしくため息をついた。

「あ、そうそう。その子、彼氏はいないんだろうな?」

 将人の問いに、民喜はハッとして目の前の空間を見つめた。

「彼氏がいるかどうかは、知らねえ。いや、たぶんいないと思うけど……」

「何だ、肝心のそこも未確認か。まあいいや、それも含めて探ってみれば」

 そう言えば、明日香さんに彼氏がいるのか、はっきりと確かめたことがなかった。てっきり彼女には付き合っている人はいないものだと思っていた。サークル内にはもちろん彼氏はいないし、学内を男性と二人きりで歩いているところも見たことはなかった。

 

 電話を切る間際、思い出したように将人が尋ねてきた。

「あ、そうだ。民喜が好きな人、名前は何て言うんだっけ?」

 民喜はゴクッと唾を飲み込み、

「明日香さん。永井明日香さん」

「明日香ちゃんね。オッケー! 民喜が明日香ちゃんとうまくいくよう、俺も応援してるよ」

 楽しそうな声で言った。

「うん、ありがと」

「デート当日はぜひラインで実況中継してくれ」

「いや、しねえ」

「してくれよ。っていうか、俺、こっそり後ろからついてこうかな」

「やめてくれ」

「駿と一緒についてこうかな」

 将人はワハハと嬉しそうに笑った。

「やめろ」

 民喜もつられて笑った。

 

 

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作者:鈴木太緒(すずき・たお)

   岩手県花巻市在住。猫3匹と同居。

お問い合わせ:neanderthal.no.asa@gmail.com