5、

思い出の場所に幾つか立ち寄った後、あの桜並木がある地区に向かった。

2キロ以上の区間に桜がズラッと植えられてるんだ」

 将人が助手席に座る凌空に説明をする。

「へーっ」

「『桜のトンネル』って呼ばれてるんだけど。結構、全国的にも有名みたいで。春になるとホントすげえぞ。なあ、民喜」

「んだ」

 後部座席から相槌を打つ。

「ただ、その辺り、かなり線量が高くてさ。大部分が帰還困難区域になっちまってるんだ」

 駿が補足説明をする。

「そうなんだ」

「だから並木道も、300メートルくらいのところまでしか入れない。それ以上は通行止めになってる」

「そっか、せっかくの名所なのに」

 桜並木に近付くにつれガイガーカウンターの数値が上がってゆく。母の不安そうな表情が脳裏をかすめる。

 将人は適当な空き地を見つけ、車を停車させた。

「ほい、着いたぞ」

「サンキュー」

ドアを開けようとした将人はふと思い出したように、

「民喜、いまの数値どれくらい?」

 ガイガーの画面を確認し、

2.83

 と答える。数秒、沈黙が流れる。凌空は三人の表情を見比べて、

「結構、高いんだな」

「どうする? 降りる? それとも車の中から見るか?」

 将人が後部座席を振り返り、駿に訊ねた。

「うーん、どうするべ。結構、線量高いからなあ……」

「民喜、どうする?」

 今度は民喜の顔を見つめる。

「せっかくだから、降りて、歩きたい」

 民喜のきっぱりとした口調に、

「そうだな。せっかくだから、ちょっと歩いてみるか」

 将人が頷くと、駿も、

「んだな」

 と言ってシートベルトをカチャッと外した。

 

並木道の真ん中をゆっくりと歩いて行く。道路の両側に並ぶ桜の木の葉はわずかに紅葉し、オレンジがかった緑色になっている。

「確かに、春になったらすごいだろうなあ」

 凌空が梢を見上げながら言った。

毎年、春になると家族で来ていたこの並木道――。真っ白な桜のトンネルの下を、父と母と咲喜が並んで歩いている光景が一瞬浮かんで、消えていった。

「ほら、あそこ、バリケードで封鎖されてるだろ」

 駿が前方を指さした。50メートルほど先に鉄製のバリケードと三角コーンが置かれている。

「あそこから先が、帰還困難区域なんだ」

「ホントだ」

 凌空は立ち止まり、スマホを取り出して撮影を始めた。民喜たちも立ち止まり、前方を見つめた。

 

通行制限中

この先

 帰還困難区域につき

 通行止め

 

 

 道路脇に置かれた看板の文字を目でなぞる。夏に訪ねて以降、この光景がずっと自分の心に暗い影を落とし続けていた。

 バリケードの向こう側に目を凝らす。鉄格子の先にも、やはり道は続いている。

 民喜は目を閉じ、満開の桜がまっすぐに咲き誇る様子を思い描こうとした。桜のトンネルの下を笑顔で行き交う大勢の人々。沿道の出店で買い物をしたり、家族で写真を撮ったり、人力車に乗ったり……。

 民喜は胸の内で呟いた。

この先は、行き止まりじゃない。

この先は、真っ暗じゃない。この先にも光はあるはずだ。

 俺らの、先のことにも――。

風が吹いてきて、民喜の前髪を揺らした。吹く風と一緒に、明日香のあの歌声が聴こえてきたような気がした。

 

また朝が来てぼくは生きていた ……

 

 桜の花びらが舞い散る中、『朝』を歌う彼女の姿がはっきりと心によみがえってくる。

いつかこの桜並木を明日香さんと歩いてみたい。

民喜は思った。

いつか、この桜のトンネルの下を明日香さんと歩いてみたい。

 目を開け、バリケードの先をジッと見つめる。

そうだ、静岡に戻ったら、明日香さんに告白しよう――。

突然、その決意が胸の内に湧き上がってきた。自分の想いをはっきり告げて、交際を申し込もう。

「あ、ごめんごめん」

 凌空の声に、民喜たちは再び前方へと歩き出した。

そうだ、そうしよう!

「よし!」

 思わずガッツポーズをする。

「ん? 民喜、どした」

 将人が即座に反応したので、

「あ、いや、何でもねえ」

 笑って誤魔化した。ゆっくりと歩く三人を残し、速足でバリケードの前まで歩いて行く。心なしか、体が軽くなっているような気がする。

しかし、10メートルほど歩いたとき、

「お前は病気だ」

「彼女と付き合う資格なんてない」

背後から声が聞こえた。ドキッとして後ろを振り返る。

数メートルほど後ろを、駿と将人と凌空が笑顔で話しながら歩いている。

こいつらがそんなことを言うはずがない。幻聴だ。

民喜は胸に手を当て、心を落ち着けようとした。頭から血の気が引いたようになり、軽くなっていたはずの体が再び重くなってくる。

民喜はフラフラとさらに数メートルほど前に進んだ。立ち入り禁止のバリケードのすぐ目の前まで来る。

いまの声は、幻聴だ。実体のない、幻の声だ。

 立ちはだかる鉄格子の前で、懸命に自分に言い聞かせる。

 民喜はまた目を瞑った。もう一度、この先に続く満開の桜並木を思い描こうとする。

 どこまでも続いてゆく、真っ白な桜のトンネル、その下を歩く大勢の人々――。

しかしなかなか、その光景を頭の中に再現することができない。バリケードの先はやはり真っ暗で、そこには陰惨な奴らがうごめいているのではないか……。

 手に検査器をもったイノシシ人間たちの姿が頭をかすめる。

 民喜はいつしか俯いて手を組み、黙祷をささげるような姿勢を取っていた。

 

存在したものが、

あたかも存在しなかったかのようにされてしまうことが、

ないように。……

 

 あの「法典」の言葉がよみがえってくる。祈りを唱えるように、民喜はこの言葉を胸の内で何度も繰り返した。

 

存在したものが、

あたかも存在しなかったかのようにされてしまうことが、

ないように。

 

すべての存在が、

「そのもの」として存在し、

かつ、これからも存在し続けるように。

 

存在が、

あたかもはじめから存在しなかったかのようにされることが、

決して、ないように。

 

何度もこの言葉を繰り返す内に、徐々に暗闇は遠ざかり、再び満開の桜並木が脳裏に浮かんできた。桜の花びらが舞い散る中、明日香がすぐ目の前で民喜に向かって微笑んでいた――。

目を開ける。すると、隣に並ぶ駿と将人と凌空も目を瞑っていた。民喜の視線に気づいたのか、三人ともパッと目を開け、顔を見合わせて笑った。

「いや、民喜につられて、思わず」

 照れくさそうに駿が言った。

「んだ」

 将人が続ける。

「こういう時、最後にアーメンって言うんだっけ」

 楽しそうな表情で凌空が言った。

 

 

(終)

 

 

 

 

参考文献

 

~本文で引用・言及したもの~

谷川俊太郎『谷川俊太郎詩選集1』(集英社文庫、2005年)

スティーヴン・ミズン『心の先史時代』(松浦俊輔・牧野美佐緒訳、青土社、1998年)

原民喜『夏の花・心願の国』(新潮文庫、1973年)

ウィリアム・ゴールディング『後継者たち』(小川和夫訳、中央公論社、1983年)

 

~その他 主な参考文献~

蟻塚亮二・須藤康宏『311と心の災害 福島にみるストレス症候群』(大月書店、2016年)

伊藤浩志『復興ストレス 失われゆく被災の言葉』(彩流社、2017年)

北村俊郎『原発推進者の無念 避難所生活で考え直したこと』(平凡社新書、2011年)

study2007『見捨てられた初期被曝』(岩波書店、2015年)

福島県富岡町『富岡町「東日本大震災・原子力災害」の記憶と記録』(2015年)

福島県富岡町『富岡町災害復興計画(第二次)』(2015年)

森茂起『トラウマの発見』(講談社選書メチエ、2005年)

スヴァンテ・ペーボ『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(野中香方子訳、文芸春秋、2015年)

マリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』(高野優訳、紀伊國屋書店、1999年)

谷本惠美『カウンセラーが語る モラルハラスメント』(晶文社、2012年)

谷本惠美『モラハラ環境を生きた人たち』(而立書房、2016年)

 

 

 

※本作品は季刊詩誌『十字路』(第9号 20165月発行~第23号 201911月発行)と『舟』(第164号 20168月発行~第178号 20202月発行)に同時連載したものを、大幅に加筆・修正したものです。

 

 

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作者:鈴木太緒(すずき・たお)

   岩手県花巻市在住。猫3匹と同居。

お問い合わせ:neanderthal.no.asa@gmail.com