4、

妹の宿題が一段落したとき、

「民喜も飲むか?」

父が新しい缶ビールを冷蔵庫から取り出してきた。民喜は頷いて父の向かいの席に座った。

父から注いでもらったビールを一口飲む。一瞬、頭がクラッとする。思えば最近、毎日のようにビールを飲んでいる気がする。

「ちゃんと宿題したから、観てもいいでしょ」

 咲喜はテレビのリモコンを手に、台所の母に声をかけた。これから観たい番組があるらしい。

1時間だけよ」

母が台所から顔を出す。

「はーい」

そう返事をして妹は嬉しそうにソファーに座った。バラエティー番組の賑やかな音声が聞こえてくる。母がおつまみに枝豆をゆでて出してくれた。

 民喜と父はしばらく何を話すともなく、テレビを観ながら枝豆を食べ、ビールを飲んだ。民喜のグラスのビールが少なくなる毎に、父はビールを注いでくれた。アルコールが回り、だんだんと頭がボーっとしてくる。

「民喜はスーツ何着持ってる。一着だけか」

「うん、1着だけ」

 枝豆の殻を口から出して、民喜は答えた。民喜が持っているのは大学に入学する際に買ってもらったスーツだけだった。

「そうか、1着だけか」

 父は何かを考える表情をしてから、

「こっちさ帰って来てる間に、スーツ新調したらどうだ」

 と言った。父の言葉を聞いて、民喜は少しドキッとした。できれば触れてほしくない話題に話が進んでゆきそうな予感がした。

「うーん、まだ着れるけども……」

2着あった方がいい。これから何かと必要になる」

 やっぱり、触れてほしくない話題に向かってゆきそうだ。

「進路の方はどうだ。これからどうするか決まったか」

 ビールを口に含み、少し間を置いてから、父は言った。

「うーん、考えてるけど……。まだはっきりしねえ」

曖昧に返事をする。

「来年は4年生だっぺ。もうあんまりゆっくり考えてらんねえぞ」

「うん、分かってる」

 そうする意図はなかったのに、棘のある感じの口調になってしまった。

民喜と父はまた無言で枝豆を食べ、ビールを飲んだ。さらに酔いが加速してくる。

 酔っぱらった頭で、スーツを着て就活をしている自分を想像しようとしてみる。が、そのような自分の姿をうまく思い描くことができない。

「来年は4年生だ。あんまりゆっくり考えてらんねえぞ」

しばらくしてから、父はまた同じ言葉を繰り返した。

「ちゃんと今の内から、先のことさ考えておかねえと」

父が発した「先のこと」という言葉は、民喜の内の何かを刺激した。

(先のこと――)

 脳裏にバリケードで封鎖された桜並木の様子が浮かんでくる。

 

この先

 帰還困難区域につき

 通行止め 

 

という、あの立て看板に記された言葉も――。

 

「先のことは分かんねえ。でもそれは父さんたちも一緒だろ?」

言った後に自分でも戸惑ってしまうほど大きな声になってしまった。

父はハッとした表情をして民喜を見つめた。ソファーに座る妹も不安げな表情で自分の方を見ている。妹の視線を感じ、冷静になろうとする自分と、しかしさらに激昂しようとする自分とがいた。胸の奥の方に押し込め続けていた感情が一気に噴き上がってきて、もはやどうすることもできない。

「いつ帰れるんだ? それとも、もう帰れねえのか? はっきりしてくれ! はっきり教えてくれよ!」

 今までずっと口にはできなかったことを叫んだ。大声で叫んでしまった後、胸の奥から鼻腔にかけて熱くて辛いものが込み上げてきた。

「それがはっきりしねえと、何だか俺、先のことも決められねえよ……」

 民喜は溢れ出てきた涙をぬぐい、父から顔を逸らした。

涙を流す民喜の様子を見て、咲喜も「えーん」と声を上げて泣き始めた。母は台所から咲喜のそばにやって来て、妹の肩を抱いた。母も涙ぐんでいた。父は何も言わず、俯いて手元の方を見つめている。

 ぬぐってもぬぐっても、涙が止まらない。テレビから場違いな笑い声が流れてくる中、民喜と咲喜はしゃくりを上げて泣き続けた。母は妹を一緒に連れて民喜のもとにやって来て、肩にそっと手を置いた。

 どれほど時間が経ったのか、ようやく民喜と咲喜の涙がおさまった時、

「民喜は、民喜のやりたいと思うことをやれ。父さんたちのことは気にしないでいい。町のことも……」

父はふり絞るような声で呟いた。

「おめえの人生だ……。民喜は、民喜のやりたいことをやれ」

そう言って父は席を立ち、寝室の方に向かった。

 

 

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作者:鈴木太緒(すずき・たお)

   岩手県花巻市在住。猫3匹と同居。

お問い合わせ:neanderthal.no.asa@gmail.com