3、
麦茶をコップで一杯飲んでから、民喜は自転車に乗って近所の文房具店に出かけた。
曇ってはいるが、ジトッとするような蒸し暑さだ。セミの声を聴きながら、民喜は勢いよく自転車を漕ぎ進めた。
5分ほどで漕いだところで店に到着する。昔ながらの小さな文房具店で、数は多くはないが画材も取り扱っている。ここで新しい色鉛筆のセット、スケッチブック、そしてA3サイズの群青の色画用紙を購入するつもりだった。
色画用紙を店の棚から引き出したとき、民喜の心は微かに震えた。わずかに紫がかかったその深い青は、民喜に改めて故郷の海を思い起こさせた。
画用紙を手にして、ゆっくりと息を整える。この群青の画用紙に、これから自分は絵を描いてゆくのだ。
昨晩目にした光景を絵に描き残さなければならない――という強い想いが民喜を突き動かしていた。
店を出て、また自転車を勢いよく漕いで家に戻る。少し自転車を漕いだだけなのに、Tシャツも下着も汗でぐっしょり湿っていた。面倒なので、シャワーを浴びて服をまるごと新しいものに取り換えることにする。それと、シャワーを浴びて自分の体を清めたいという気持もあった。
絵を描くのはいつ以来だろう。
体についた石鹸をシャワーで洗い流しながら、民喜は考えていた。
東京に行ってからは一枚も絵を描いていない。東京の生活では、そもそも絵を描きたい気持ちが湧いてこなかった。
では、高校の時は……? 震災後、いわきに引っ越してからは描いていない。ということは……。
「『ネアンデルタールの朝』を描いて以来か」
民喜はハッとして呟いた。
父の民夫は写真を撮るのが趣味だった。正確には、震災が起こるまでは――。震災前は父は家族で出かける際には必ず愛用のカメラを持ってきていた。これまで写した写真はおそらく膨大な量になるだろう。
昨年帰省した折、リビングの本棚に数冊のアルバムが収められているのを見つけた。その数冊のアルバムは父にとって特に思い入れのあるアルバムだったのか、それとも我が家に残されている大量のアルバムの中から無作為に取ってきたものであるのか、よく分からない。過去の写真を見ることが辛く感じられたのでパラパラとしか眺めなかったが、確かそのときロウソク岩が写っている写真を目にした気がする。
シャワーから上がると、民喜はリビングの本棚からアルバムを取り出した。アルバムは全部で4冊あった。ずっしりとした重みを両腕に感じる。
「民喜、もうすぐお昼ご飯よ」
昼食の準備をする母が台所から声をかけてきた。
「はーい」
アルバムが見えないよう母に背を向けながら、民喜は急いで隣の和室に入った。
一番上のアルバムを開いてみる。数ページめくると、すぐに目当ての写真は見つかった。
それは、家族で海水浴に行った時の写真だった。ロウソク岩を背景に、民喜と咲喜と母の三人が写っている。民喜は海パン姿で、満面の笑みでピースサインをしている。母は水着の上にTシャツを着て、頭には麦わら帽子をかぶり、やはり嬉しそうに笑っている。咲喜は、眠いのか眩しいのかよく分からない顔をして母の腕に抱かれている。
写真が撮られたときのことはよく覚えていない。写真の中に写る自分はおそらく小学5年生くらいだろう。だとすると、ちょうど今から10年前。咲喜はまだ1歳と数か月くらいだろうか。
写真を見て、やはりチクッとした痛みが胸に走ったが、民喜はなるべく平静な心持ちを保とうとした。今日の自分にとって、この写真はあくまで絵を描くための素材なのだ。いまは辛い感情に左右されてはならない。
背後に写り込むロウソク岩へと意識を集中する。岩は期待していた以上に鮮明に映っている。この写真を元にすれば、在りし日のロウソク岩の姿をその細部まで表現できるだろう。
写真をアルバムから剥がそうとしたが台紙にぴったり貼りついてしまっているので止めた。