3、

県道をまっすぐ走り続けると、やがて見慣れた景色が左右に広がってきた。

「もうすぐ、俺らの地元」

 将人が助手席の山口に声をかける。山口は窓の外を眺めながら、無言で頷いた。

 数か月ぶりに訪ねた故郷の様子は特に変わりはなかった。変化していることと言えば、あちこちで紅葉が色づき始めていること。

「除染作業中」と書かれた青い幟のそばを通り過ぎる。作業服を着た人たちが屋根に登って、瓦を拭く作業をしている。一枚一枚、手作業で……。気の遠くなるような作業だ、と民喜は思った。

「フレコンバック。汚染された土が入ってるんだ」

 駿が後部座席から身を乗り出して山口に説明をする。

「そっか。写真では見たことあるけど。これが、そうなんだ」

山口は幾分緊張した面持ちで呟いた。

フレコンバックの黒い山の傍らを通り過ぎたとき、民喜はドキッとした。あの「陰惨なヤツら」の気配が近くに漂っている気がしたから……。

背中の筋肉が緊張し、手の平にじんわりと汗がにじんでくる。頭から血の気が引いてゆく感じがする。

大丈夫、ちゃんと今朝、薬も飲んできたんだから――そう自分に言い聞かせる。

「民喜、いまガイガーの数値、どれくらい?」

 将人が声をかけてきた。民喜は両手に握りしめていたガイガーカウンターの数値を確認した。

「えーと、0.27マイクロシーベルト」

「ふーん、ちょっと上がってきたな」

「高いの?」

 山口が尋ねると、

「まあ、ちょっと高めかな」

 駿が返事をした。

 この町を訪ねることを母に告げたとき、予期していた通り母はすぐには賛同してくれなかった。

「どうしても行かなきゃいけない?」

「うん……ごめん。どうしても今回、行ってみたいんだ」

 民喜の強い希望を受けて、母は渋々了承した。ただし、空間線量が高い場所ではなるべく車から外に出ないこと、第一原発の近くには行かないこと等を条件として付け加えた。

 県道を抜け、市街地の中に入ってゆく。自分たちが毎日のように、自転車で走っていた道だ。当然のことながら、道行く人の姿は見えない。

 将人が後ろを振り返って、

「まずはどこさ行くべ?」

「えーと、浜の方さ向かってもらっていい?」

 と答える。

「了解。いつもの場所ね」

「んだ」

「いつもの場所?」

 山口の問いに、将人はニヤッと笑って、

「んだ。俺らの場所だ」

 

 駿と将人と三人で、毎日のように行っていた「いつもの場所」。

ロウソク岩のある、あの浜。震災の2日前、三人でネアンデルタール人について語り合った、あの浜――。

フレコンバックの山が点在する漁港を通り抜け、県道まで突き当たると、すぐそこがあの浜だった。

 防波堤の向こうに海が見えてくる。群青の海が垣間見えた途端、民喜はフッと体の緊張がほぐれるのを感じた。周囲がどれほどフレコンバックの黒い袋で埋め尽くされようと、この海の青さは変わらない。

血の気が引いたようであった頭が、再び明晰さを取り戻してきた気がする。

河口に架けられた子安橋を渡ってゆく。海面が太陽の光を受けてキラキラと瞬いている。民喜は目を凝らしてロウソク岩を確認しようとした。土台だけになったロウソク岩が一瞬目に飛び込んできた――が、すぐに岬の岩頭に隠れてしまった。岩頭の根本に鎮座する子安観音の赤茶の屋根瓦に日の光が穏やかに反射している。

将人は橋を渡り終えたところの空き地に車を停めた。

「着いたぞー」

「サンキュー」

 車から降りた瞬間、波の音と塩の香りが民喜の体を包み込んだ。

「いま工事中で入れねえけど、この浜にいつも三人で来てたんだ」

 隣に立つ山口に話しかける。

「そっか。ここがそうなんだ」

かつて砂浜だった部分は土砂で埋め立てられ、すっかりその表情を変えてしまっている。工事中でこれ以上は下には降りることができないので、橋の方へと向かう。河口に架けられた橋の上からは海岸と町の景色が一望できた。

「すっかり変わっちまったなー」

 将人はあくびをしながら、大きく伸びをした。

岬から少し離れた海面に、土台だけになったロウソク岩が顔を覗かせているが見える。夏に来たときよりも潮位が高いせいか、さらに小さくなってしまったように感じた。

先週見た夢を改めて思い起こす。自分はあの土台部分に立って、石の板に記された言葉を読み取ろうとしていたのだ……。

「見える? あの、ちょっと突き出てる岩。あれ、ロウソク岩って名前で。もともとはロウソクみたいな形をしてたんだ」

 駿が山口に声をかけた。

「えーと、あの、亀みたいな形のやつ?」

「そうそう。地震で大部分が崩れちゃったんだけど。ロウソク岩って名前でここでは親しまれてた」

「そうなんだ」

 橋を半分ほど渡ったところで立ち止まり、四人で岩を見つめる。スマホに何かを入力していた将人は、

「ほら、これが震災前のロウソク岩だっぺ」

画面を山口に見せた。先端に松の木を生やした在りし日のロウソク岩が画面上に浮かび上がっている。

「へー、ホントだ。ロウソクみたいじゃん」

 将人は画面をスクロールさせ、他の検索画像も山口に見せた。

「そうそう。まさにロウソク岩なんだ。俺ら、いつもこの岩を目指して、浜に来てたんだ」

「自転車漕いでな」

 駿が合いの手を入れる。

 しばらく沈黙の後、駿は岩の方にチラッと目を遣り、

「さすがにちょっと残念だな」

 と呟いた。

青空の下、群青の海がどこまでも続いている。快晴であるのに、運航する船の姿は見えない。

 民喜はカバンからガイガーカウンターをそっと取り出して数値を確認した。

0.07マイクロシーベルト。海に面しているからか、線量はさほど高くはなかった。

「民喜、いま数値、どれくらい?」

 将人の質問に、

0.07マイクロシーベルト」 

「ふーん」

 将人の横顔を見つめる。今回、将人が空間線量の数値を結構気にしていることが意外だった。

「高いの?」

 山口の問いに、

「いや、別に高くない。普通かな」

 駿が返事をする。

「あ、そうそう。向こうには、福島第二原発もあるんだ。見える?」

 駿が向こうの海岸線を指差す。

「あっ、あれ?」

「そうそう」

 数キロ先の岬から第二原発の排気塔が顔を覗かせている。

「写真、撮っていいかな?」

 山口が幾分遠慮気味な口調で尋ねた。

「もちろん」

 駿と将人が同時に答える。

山口は頷き、カバンからスマホを取り出して真剣な表情で撮影し始めた。勢いよく吹きつける風が山口の前髪を揺らしている。

波の音を聞きながら、民喜はふと谷川俊太郎の詩の一節を思い起こしていた。

 

あの青い空の波の音が聞えるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまったらしい ……

 

 

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作者:鈴木太緒(すずき・たお)

   岩手県花巻市在住。猫3匹と同居。

お問い合わせ:neanderthal.no.asa@gmail.com