4、
真っ暗な部屋の中、パソコンのディスプレイだけがぼんやりと青白く発光している。
昨日から――24時間以上――民喜は一睡もすることなく起き続けていた。頭の中がグルグルとして、とても眠れるような状態ではなかった。体は疲れ切っているのに、意識だけは鋭敏なまま。五感が極度に敏感になっているのが自分でも分かる。ドアの外を通り過ぎるアパートの住民の足音にもビクリとしてしまう。
今何時なのだろう……? パソコンのディスプレイを覗いてみる。
10月16日 金曜日 14時55分。
外はまだ昼間なのだ、ということに初めて思い至る。
様子を伺うために窓を覆う段ボールにそっと耳を寄せると、微かな雨音が聞こえてきた。
民喜は立ち上がって、フラフラとした足取りで台所に向かった。冷蔵庫から差し入れのサンドウィッチと果肉入りヨーグルトを取り出す。誰かからいただいた差し入れも、これでお終い。冷蔵庫の中は完全に空っぽになってしまった。
青白いディスプレイ画面を見つめながらサンドウィッチを食べていると突如、
メリメリッ……。
と音が聞こえた。ビクッとして顔を向ける。窓に貼り付けていた段ボールの端がはがれようとしていた。サンドウィッチの食べ残しを床に置き、慌てて手で押さえようとするが、間に合わない。
バリバリッ!
豪快な音を立てて、段ボール全体が窓からはがれ落ちた。
(ヤバい! )
外界の眩しさに顔を歪め、目を片手で覆う。部屋の中が外から丸見えになってしまった、と思う。
慌ててガムテープを取りに行こうとした瞬間、背後から視線を感じた。
ハッとして振り返ると、イノシシの頭が窓の外からこちらを覗いていた。
(……!)
思わず息を飲む。
目の前のそいつは、頭はイノシシだが体は人間の形をしていた。医者が着るような白衣を着て、手には刃のついた甲状腺の検査器を持っている。
「ワッ!」
驚きのあまり、民喜は大声を出した。すると、イノシシ人間はまるでエレベーターに乗っているかのようにスーッと下へとくだって行った。
いまのは何だ?
心臓がドクドクと激しく脈打っている。
「頭はイノシシで、体は人間……イノシシ人間だ!」
手足がブルブルと震えてくる。腰の骨の辺りに鈍い痛みが走る。
幻覚じゃない。確かにいま、はっきりと見えた!
この部屋の様子を偵察しに来たのだろうか? 俺が住んでいることを確かめに?
そのうちまたやって来るかもしれない。今度は部屋に侵入して、自分を捕まえに……。
身の危険を感じ、全身に鳥肌が立つ。一刻も早く、ここから逃げなければならない。
民喜は慌ててパジャマのズボンをジーンズに履き替え、カバンを手に取った。中を確かめると「ネアンデルタールの朝」の絵が入ったままになっていた。
(そうだ、これだけは、絶対に持っていかねえと……!)
部屋の中を急いで見回す。
「えーと、そうだ。財布とスマホ……」
財布とスマホをカバンに入れ、駆け足で玄関に向かう。が、振り返って、もう一度部屋の中を見渡す。
(何か、忘れ物は……)
机の上に置かれたリンゴが目に留まる。
そうだ、リンゴがまだ一つ、最後に残っていた。差し入れでもらった、大切な――。
民喜はリンゴを取りに戻って、そっとカバンの中に隠した。
ドアをわずかに開けて、隙間から恐る恐る外の様子を伺う。どうやら廊下と階段には誰もいないようだ。意を決して外に飛び出し、階段を駆け下りる。途中であの陰惨なヤツが待ち構えていないことを祈りながら……。
無事にアパートの外に出た。雨は一時的に止んでいる。周囲をキョロキョロと見渡す。イノシシ人間の姿は見えない。とりあえず良かった! が、これから、どこへ向かえばいいだろう? とにかく、できるだけこのアパートから離れなければならない。
目的地も定まらぬまま、民喜は全力で前へと駆け出した。