5、
「この度は、色々、ありがとう。迷惑かけて、ホントごめんね」
改めてお礼と詫びの言葉を述べる。ベッド脇の椅子に座った明日香は微笑んだまま首を振った。
すぐ目の前に明日香さんがいる。夢のように感じるけど、夢じゃない――。
まるで長い旅を経て、彼女と再び巡り合えたかのような感覚が民喜を捉えていた。
「明日、退院できるみたい」
そう報告すると、
「そう、良かった」
明日香は頷いた。
「あっ、そうだ! あと、アパートまで差し入れを持ってきてくれたの、明日香さんだったんだね。さっき、山口から聞いた。本当に、ありがとう」
棚の上のリンゴに目を遣る。
「いえいえ」
「ホント、助かった。明日香さんのおかげで、生き延びることができた」
「いえ、そんな」
「いや、本当に」
民喜は頭を下げた。
「あと、定演も、ごめんね」
「ううん、大丈夫だよ」
「明日香さんが言った通り、僕、大丈夫じゃなかったみたい」
明日香は否定も肯定もしないで、ただ頷いた。彼女の穏やかな表情が心に染み入ってくる。
胸の方まで伸びる黒い髪。ぱっちりとした切れ長の目。色の薄い肌とほんのり赤く染まった頬。少し伏し目がちに恥ずかしそうにして笑う、独特な笑い方。隙間からチラッと覗く可愛らしい八重歯……。
いま自分の目の間に明日香さんが確かに存在していることの、その喜びを噛みしめる。
「民喜君、その絵……」
ふと明日香は椅子から少し腰を浮かし、
「ネアンデルタールの朝だね」
棚に飾ってある絵を覗き込んだ。
「うん。気づいたらカバンの中に入ってて。午前中に母さんが飾ったんだ」
「そんなんだ」
明日香は真剣な眼差しで絵をジッと見つめた。
彼女の横顔を見つめながら、静岡に行ったら彼女と会う機会が少なくなってしまうことに思い至る。休学することが決まって精神的には楽になったが、彼女と会えなくなると思うと胸にチクリと痛みが走った。
「実は、しばらく休学して、母の実家の静岡でゆっくりすることになったんだ」
思い切って話を切り出す。
「だから、みんなより遅れての卒業になると思う」
明日香は絵から視線を戻し、
「そっか。……一緒だね」
と言って微笑んだ。
「えっ、どういうこと?」
「私も一緒」
キョトンとして明日香の顔を見返す。
「私も留年することになると思う」
「え、どうして、明日香さんが?」
「3年生になってから、あまりちゃんと授業に行けてないから……」
彼女が言っていることがよく理解できない。明日香さんがあまり授業に行けていない……?
明日香は再び絵の方に顔を向け、理由を説明しようか迷っているような表情を浮かべた。
「実は、民喜君にずっと話さなきゃと思ってたことがあって……。でも、民喜君が体調悪い中で聞いてもらうの悪いから。民喜君が落ち着いたら、またお話しするね」
声をひそめて言った。
「いや、もしよかったら、いま話してもらって大丈夫だよ」
「でも……」
何だかいま、聞かなくてはいけないような気がした。
「もし、明日香さんがよかったら。僕は全然大丈夫」
民喜は仕切りのカーテンにチラッと目を遣り、
「えーと、じゃあ、ここではちょっとあれだから、向こうの談話室でお話しするのはどう?」
彼女と話をするようにと心のどこかが強く促していた。明日香は一瞬の間の後、コクリと頷いた。