第5章
1、
ドアを開けると、40代前半くらいの体格のよい男性が段ボール箱を抱えて立っていた。
「お届け物です」
母からの荷物が届いたようだった。
民喜が段ボールを受け取ろうとすると、
「重いですよ」
男性は箱をいったん床に降ろした。
「サインお願いします」
伝票を受け取り、靴箱の上に置いてサインをする。差出人を見る。やはり母からだ。
「ありがとうございました」
配達員の男性は小さく礼をして出て行った。
腰を痛めないように気を付けつつ、ゆっくりと段ボール箱を持ち上げる。確かに重たい。10キロ以上あるかもしれない。
台所へ荷物を運びながら、配達員の男性から見ると自分はよっぽどひ弱に見えたのかもしれない、と思う。
床に降ろし、ガムテープをはがして開封をする。段ボールの中には米袋とたくさんの野菜が入っていた。
玉ネギ、ニンジン、オクラ、レンコン、ショウガ、ゴボウ。ゴボウはまだ獲って来たばかりであるかのように黒い土がついている。奥の方にはサツマイモとジャガイモも見える。
紙袋の中には幾つかのリンゴが入っている。リンゴの甘い香りが鼻をくすぐる。リンゴの上に、母からの手紙が添えられていた。
民喜へ、
新しい学期が始まって数週間が経ちましたが、元気にしていますか。
この夏は民喜が長く帰省してくれて嬉しかったです。咲喜もとても喜んでいましたよ。
リンゴとお野菜とお米を送ります。リンゴ(早生ふじ)は青森の山本さんが今年も送ってくださったもののおすそ分けです。お野菜は北海道で有機農法をしている菊池さんから送ってもらったものです。
色々と忙しいと思いますが、なるべく自炊をするようにしてね(食品はいろんな種類をまんべんなく食べるようにしてください。また、野菜や魚を買う際は、念のため産地も確認するようにしてください)。
レシピを同封したので、参考にしてみてください。
ではでは、くれぐれも体には気をつけてね。
母より
米袋とリンゴが入った紙袋の間に、オレンジ色のクリアファイルが差し込まれているのに気が付く。ファイルの中には母の手書きのレシピが入っていた。タイトルは「免疫力を高めるためのレシピ」。
「レンコンの炊き込みご飯」、「オクラ入りカレー」、「リンゴとショウガのスープ」……。数枚の紙にびっしりと手書きのレシピが記されている。「免疫力を高めるため」というのはもちろん放射能の影響を心配してのことだろう。
レシピを冷蔵庫の扉にマグネットで留める。母の文字を見つめている内に、民喜の胸の内に母への申し訳なさが込み上がって来た。
最後に自炊をしたのは、一体いつだろう。この半年ほど、一度も自分で料理を作っていない気がする。今晩もすでに外で夕食を済ませてしまっていた。
みぞおちの上に手を当てる。胃の痛みは消えていたが、依然として重苦しい感覚が残っていた。
母への申し訳なさを埋め合わせるかのように、民喜はリンゴを一つ手に取った。
流し台の前に行き、リンゴをザッと洗う。戸棚からまな板と包丁を取り出す。普段ほとんど使うことのないまな板と包丁は、まるで新品のようだ。
リンゴを手に持ち、テレビでよく見るように皮を剥こうとするがうまく剥くことができない。しばらく格闘している内に、親指を切ってしまいそうになる。皮を剥くのはあきらめ、果実をまな板の上に置いて皮ごと切ることにする。まず半分に切って、それをさらに半分に切り分け、最後に芯の部分を取り除いて皿の上に並べた。
リンゴを盛った皿を持って机に向かう。椅子に座り、早速一口食べてみる。口の中にリンゴの甘みと酸味が拡がる。みずみずしく、とてもおいしいリンゴだった。
リンゴをほおばりながら、民喜は今日の大学での出来事を思い起こしていた。
今朝、民喜は2回続けて休んでしまった倫理学の授業に、力を振り絞って出席した。
席に座っていると、他の学生たちが白い目や好奇の目で自分を見ているような気がした。カバンからスマホを取り出し、人さし指で意味もなくスクロールし続け、ジッとその視線に耐える。
後ろの席の方でクスクス……と女の子たちの笑い声がする。自分のことで笑っているのではないかと思い、民喜の頭からはますます血の気が失せていった。
誰かが入って来る気配がしたので顔を上げる。教授の姿を認めた民喜は立ち上がり、彼の元に駆け寄った。
民喜はこの教授の授業を1年生のときに一度受けたきりだった。髪の毛は大部分が白髪になっているが、年齢はまだ50代前半くらいだろう。大きな四角い黒ぶちの眼鏡をかけているのが特徴だ。いつも微笑んでいるようでいて、眼鏡の奥の目はまったく笑っていない人だった。
「あの、すみません。先週、先々週と休んでしまいました。すみません」
叱責されることを覚悟しつつ頭を下げる。すると教授は、
「あ、そう」
黒ぶち眼鏡の奥の細い目で民喜を一瞥し、それ以上何も言わずに教務手帳を開いた。
「君、名前は?」
「あっ、はい、佐藤民喜です」
「これからは来るのね、ちゃんと」
「あっ、はい」
教授は手帳に目を遣ったままフーッとため息をつき、
「12月18日、発表できる? テキストの第8章」
第8章がどのような内容なのかも分からないまま、反射的に、
「あっ、できます」
と答える。
「そう、じゃ、それで」
教授は教務手帳をパタンと閉じて、教卓の方に向かった。その場に取り残されたかたちになった民喜は周囲を見回した後、慌てて自分の席に戻った。戻り際、前の方の席に「もっちゃん」らしき人物が座っているのが視界の隅に入った。
椅子に座ると、血の気が引いていた頭に今度はカーッと血が上ってきた。
クスクスクスクス……。
教室のざわめきのすべてが自分を嘲笑う声のように聞こえた。……
リンゴを食べ終えた民喜はスマホを手にとって、母にラインのメッセージを送った。今日すでに何十回も思い出してしまっている嫌な記憶を振るい落とすようにして――。
「荷物届きました。ありがとう。リンゴおいしかったです」