3、
練習から帰宅すると、民喜は夕ご飯も食べずに寝てしまった。心身共に、疲れ切っていた。首や背中の筋肉も異様に凝り固まっていた。
重苦しい夢を断続的に見た後、目を覚ましたのは夜の11時前。中途半端な時間に目が覚めてしまった。このまま朝まで寝てしまおうかとも思ったが、母に送ってもらった大量の野菜の存在が気にかかっていた。そう言えば、さっき見ていた夢の中にも段ボール箱に入った野菜が出て来たような気がする。
頑張って、料理しないと……。
民喜は起き上り、気怠い体を引きずるようにして台所に向かった。
まずお米を研いで、電子ジャーの炊飯のセットをする。思えばお米を炊くこと自体、久しぶりだった。
冷蔵庫の扉に貼ってある母の手書きのレシピを手に取って眺める。オクラ入りカレーが比較的簡単に作れそうだったので、レシピを参考に作ってみることにした。
段ボールからニンジン、ジャガイモ、玉ネギ、そしてオクラを取り出す。流しで洗い、ピーラーで皮を剥き、慣れない手つきで切ってゆく。このように自分で料理をするのは、本当に久々のことだ。
オクラのヘタを切り終えたとき、肝心のカレーのルーがないことに気づいた。
「あー、そっか」
思わず声を上げる。
「何だよ、もう」
ため息をつきつつ、仕方なく近くのコンビニまで買いに行くことにする。ちょうど冷蔵庫の中のビールが切れていたので、それも併せて買っていこう。
カレーが完成したときにはすでに日付が変わっていた。コンビニに行った時間を差し引いても、調理に1時間近くかかってしまったことになる。
カレーはもっと手軽に作れる料理であるはずなのだけれど……。カレーを一品作っただけで、何だかドッと疲れてしまった。
食べ始めようとした民喜はスプーンを一端皿の上に置いてスマホを手に取った。初めて作ったオクラ入りカレーを記念に写真に撮っておこうと思う。
机の上に散らかっている物を端に寄せ、空いたスペースにカレーを置いて撮影をする。写真で見ると具にオクラが入っていることはあまりよく分からなかったが、ちゃんと自炊をした証拠として、後で母にラインで送ってあげよう。
カレーを一口食べ、
「うん」
民喜は頷いた。思いのほかおいしい。オクラもよくカレーに合っていた。
あっと言う間に食べ終わり、おかわりをするために民喜は立ち上がった。
二杯目のカレーをお皿に盛り、コンビニで買って来た500ミリリットルの缶ビールを冷蔵庫から取り出す。机の前に座り、缶の蓋を開けて誰もいない空間に向かって乾杯をする。おかわりのカレーも民喜はすぐに食べ終えた。
疲れてはいたが、久しぶりに自炊をしたことの達成感が民喜の気持ちをわずかに高揚させていた。鼻歌を歌いながら、空になった皿を台所の流しに持ってゆく。
スポンジに洗剤をつけて皿を洗っていると、ふと、
これを明日もやるんだ。
と思った。
民喜は鼻歌を歌うのを止め、まな板の上の野菜の皮に目を遣った。
これからこの作業を日常的に行ってゆかねばならない、ということに民喜は思い至った。母が言うように、買い物の際は産地を確かめつつ、免疫力を高めるための食事に気を配りつつ。放射能の影響を気にかけながら、これから先、何年も、何十年も――。
高揚していた気持ちはたちまち萎えてゆき、再び重苦しい疲労感が民喜をとらえた。
(あ、しんどい)
心の中から声がした。
果たして自分にできるのだろうか。果たして、頑張ってゆけるのだろうか……。
「戦争法案、絶対反対!」
「戦争法案、絶対反対!」
「憲法守れ!」
「憲法守れ!」
民喜は以前参加した国会前のデモを思い起こしていた。
大勢の若者たちがひしめく中、隣にいる山口凌空と一緒になって自分も声を上げようとした。が、のどがキュッと締め付けられたようになって大きな声を出すことができない。
(あ、しんどい)
そのときも、心の中からこの声がしていた。民喜は自分にはここに立って声を上げ続けるだけのエネルギーがないことを思い知った。
「しんどい」
流しの前に立ち尽くしていた民喜は、誰もいない空間に向かって呟いた。